ソーラーカーの思い出

「読売新聞 1987年12月5日」より転載


 当社では、世界初のソーラーカーレース、「ペンタックス・ワールド・ソーラー・チャレンジ」の第1・2回に参加しました。以下には、その第1回ソーラーカーレースに参加した時の新聞記事を紹介します。

豪大陸縦断レース

前日のあらしが過ぎ去って初夏のおだやかな太陽が降り注ぐ二日、オーストラリア・アデレードのキングウイリアムス通りを一台のソーラーカーがゆっくりと走り抜けた。時速二十キロ、横を子供の乗った自転車が追い抜いてゆく。正午きっかり、タウンホール前に到着したソーラーカーは、かけつけた人々から祝福の言葉とシャンパンの歓迎を受けた。レースの開催すら思い出話になりかけたころ、トップから一か月近くも遅れてゴールしたこの車は、日本の「サザンクロス」。太陽エネルギーを世界で最もゆっくり受け止めて走っていた国産ソーラーカーの、以下はてんまつ記。
(シドニー・杉下恒夫特派員)

愛車サザンクロスにあいさつ
スタート前、愛車サザンクロスに「おはよう」とあいさつする今任さん
(アリススプリングズ付近で=オーストラリアン紙提供)

 世界で初めて行われたソーラーカーによる自動車レース「ペンタックス・ワールド・ソーラーチャレンジ」がオーストラリア大陸の北端の町ダーウィンを出発したのは十一月一日午前九時だった。アメリカのゼネラル・モーターズと航空宇宙局(NASA)が技術の枠を集めて作った「サンレーサー」が平均速度六十六キロのスピードで三千二百キロを快走、六日午後零時四十五分、ゴールのアデレードに着いた。大会規定で一位の車の到着後、五日間以内にゴールした車が完走と認められたが、結局参加した二十二台中、規定の範囲で完走できたのは六台だけ。日本からも四台参加したが、結果はさんざんで、日本テレビの「ソーラー・ジャパン」は千三百二十三キロ走って七日リタイア。ほくさんの「ホーブスⅡ」が「非公式」ながら太陽エネルギーだけで走りきって十八日アデレード着。同じ日、もう一台の「HAMA」も途中からバッテリーを使って、ともかくアデレードに着いた。

 二台が着いた時、すでに大会本部は解散しており、表彰式は一週間も前に終わっていた。だから、「なんで今ごろ」と市民をびっくりさせたが、実はその千キロも後方にもう一台、日本のソーラーカーが走っていると知った時は皆びっくり仰天。日本人のねばり強さに驚きの声が上がったほど。
 この車、神奈川県厚木市に本社を持つ「半導体エネルギー研究所」の「サザンクロス」。高性能だが、高価なガリウムひ素化合物を使ったといわれる「サンレーサー」のソーラーパネルに比べコストは百分の一だが変換効率がぐんと落ちるアモルファスシリコン太陽電池使用のため、スタートからスピードが出ずレースでは、つねにどんじり。「サンレーサー」がさっそうとゴールしたころ、まだ五百キロも走っていなかった。

 しかし、五人のスタッフにとっては、社命による”真剣勝負”である。あきらめず、一日五十、百キロと走れるだけ走って道路横で野宿の毎日。まさか十一月中には到着すると思って、同二十七日までしか取っていなかったビザの期限が刻々と迫り、ついにゴール寸前で期限切れ。到着三日前、メンバーの一人の父親が危篤になり帰国するなど、文字通り満身創痍(そうい)の完走だった。所要時間は三十一日と十二時間。五日と四時間で走った「サンレーサー」との差は二十六日、公式順位はないが、あえてつければ十四位。太陽熱だけで走り抜いた車は二十二台中十四台だから、文句なく最下位。

 しかし、アデレード市民はこの車を「サンレーサー」と同じように歓迎した。タウンホール前ではシャンパンが抜かれ、特別レセプションの席では南オーストラリア政府から記念品の贈呈も。期限切れのビザも移民局の特別のはからいで、その場で延長され、チームのねばりにあちこちから拍手が起きた。

 レースの取材にあたった地元紙「アドバタイザー」のビル・マッコリー記者は「みんな元気そうでびっくりした。彼らのソーラーパネルの性能は『サンレーサー』にも劣らない。コストからみれば互角といっていい」と称賛する。リーダーの同研究所技師、今任慎二さんは三日、レースをボランティアで支援してくれたシドニーのオーストラリア人の家で汗を流したあと、「やっと終わったという感じだ。沿道の人をはじめいろいろの人に助けられ感謝に絶えない」と一息ついている。メンバー四人はきょう五日、帰国する予定。

 一方、新時代の到来を告げる快走ぶりをみせた「サンレーサー」は近く平和のメッセージを携えた「平和の使者」として三-六か月がかりで太陽エネルギーによる世界一周の旅に出る予定だ。
(上記内容について読売新聞社より許可を得て転載。他に転載不可)