代表取締役 山﨑の恩師 加藤与五郎博士
工業界で海外技術の吸収が盛んだった大正時代初期、創造をもって産業を興そうと自ら先頭に立って日本の電気化学工業の発展に奮闘。「進歩則創造」の精神を持ち、当時の日本のために応用研究と人材の育成に人生を捧げました。
加藤博士の提唱する「創造・科学・教育」は、清い心をもって問題を見つめ、世の中の役に立つ技術を創造すること、その技術を生み出すパイオニア出現の重要性を説いています。
略歴
1872年 | 愛知県刈谷市に生まれる |
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1895年 | 同志社ハリス理化学校卒業 |
1903年 |
京都帝国大学卒業 MIT(マサチューセッツ工科大学)留学 研究者としての思想の原点であるノイス教授の指導を受ける |
1906年 | 東京高等工業学校(現東京工業大学)の教授となる |
1930年 | 武井武博士とともにフェライトコアの発明、特許出願 |
1935年 | 勲二等瑞宝章 受章 |
1957年 |
軽井沢にて創造科学教育の指導を始める 文化功労者に選ばれる |
1964年 | 勲二等旭日重光章 受章 |
1967年 | 静岡県熱海市の自宅にて永眠(95歳) |
2000年 | 愛知県刈谷市より名誉市民に推挙される |